アイデンティティ拡散
某氏にブログを書けといわれたので、タイピング練習がてらと称して久々にブログを書こうと思う。
結構長い間放置してしまっていた。
3日坊主は大人になったらマシになるであろうと思っていたが、全くそんなことはなかった。いつまで経っても私は私である。
最近寒くなってきた。もう夏はすっかり過ぎてしまった。平成最後の夏、と騒がれていた夏はひっそりと消え去った…と言いたいところだが、昼間は暑い。
暑がりな私はこの暑さに耐えきれず、季節外れに半袖を着ている。
この夏、私はある意味充実していた。
免許を取るために静岡の御前崎に免許合宿に行ったが仮免がなかなか取れず、3回も仮免技能に落ちたり。
仮免が落ちまくっている間にアルバイト先の閉店が決まったりと。
あとはここには明記しないが、別れもあった。
免許合宿が終わった直後はアルバイト先に積極的に出勤し、閉店作業もしている間に夏休みは終わっていた。
尚、就活と呼ばれるものはまったくしていない。
大学3回生の秋学期というものは、暇なものである。
授業を以前よりかはとらなくなる。そのため、時間に余裕ができた。
というのに、アルバイトをしていない。
アルバイトに応募したが、落とされてしまった。
「あなたの長所は?短所は?」という質問がとても苦手である。
長所は短所を真逆にしたことを答えたらいいというが、結局その長所を説明しようとしたときに言い澱む。
逆に短所については流暢に説明できる。よくないことである。
新しいアルバイト先が見つからない。なんだか心に穴が空いたままである。
悩みをぶちまけられる人がいない、本当のことを隠して自分のクズさに苦しむ。
アイデンティティ拡散をしながら、日々を過ごしている。
このままだと、私は本当に就活の間に自決してしまうであろう。
梅雨生まれ、梅雨嫌い。
6月も中旬になり、梅雨入りも発表された。
どんよりとした天気が続くが、晴れたときはとても暑い。
もうすでに根をあげそうである。
そんな私は、6月16日生まれ。もうすぐ21歳になる。
梅雨真っ只中に生まれたのである(私が生まれた日に雨が降っていたかどうかまでは知らないけれど)。
私は梅雨が嫌いである。
梅雨が嫌いというのはそうそう珍しいものではないけれど、なんだか自分が生まれた季節が嫌いというのは自分を否定している気がしてならない。
中学生ころまでは、梅雨は嫌いではなかったし、それどこか好きであった。
雨が降れば、小学校の頃は嫌いな体育がなくなったり、中学校の頃はグラウンドではなく体育館になったり。
雨が降っていると、天気も私の感傷的な気分に寄り添っていてくれる気がして。
そして、何より雨の音が好きであった。心が落ち着く気がして、どんな作業もはかどっていた。
そのころに咲く紫陽花も綺麗で、色の変化を楽しむのも好きであった。
しかし、高校生のころからであろうか。
身だしなみを特に気にしだしたからであろう、雨が嫌いになってきたのはこのころである。
私は酷い癖毛で、前髪が特に酷い。
綺麗にストレートアイロンをしていても、雨が降っていると湿気で一瞬で意味がなくなる。
それが本当に嫌であった。
そして高3の頃になると、頭痛持ちになった。
それまでは頭痛なんてこれっぽっちもなかったのに、雨が降る前後は頭痛が酷くなった。
そして今に至る。
大学生になってから体育は自由選択なので取らなくてもいいし、雨が降ってもそもそもないのでなくなることもない。
雨が降っていると、髪も心もひねくれていって。
雨の音よりも、頭が痛くて。
純粋に花を窘めなくなっていって。
年をとるたび、心がどんどん乏しくなっていくのが分かる。
成人してからは誕生日を嬉しく思えなくなる、とよく聞く。
梅雨の季節も、自分の誕生日も、嫌いになっていく。
どうか、乏しい心に満たしていく雨を。
小説
とてもとても、久しぶりにブログを書く。
3か月振りである。
以前は楽天ブログでブログを書いていたが、広告が多いことやそのブログのサイトがばれてしまったために、友人のすすめではてなブログにうつった。
はてなブログは初めてであるが、これからまたゆっくり書いていこうと思う。
最近、小説が書きたいと思い始めた。
中学生の時まで、私は小説をあほみたいに書きまくっていた。
ジャンルは大体ラノベにあるようなものばかりで、ひたすらいろんなところに投稿していて、自分のブログや掲示板など、さまざまであった (なぜか小説家になろうとかそういった小説サイトには投稿はしていなかったが)。
小学校低学年のころから小説を書くことが、好きであった。
が、高校生かそのくらいの頃、いつからかぱたりと書くのをやめてしまった。
それくらいからであろうか、小説の内容など、ぽんぽん案が浮かんでいたのに、やめてしまってからストーリーが思いつかなくなってしまった。
最近、「書きたい」という気持ちが沸いても、肝心のストーリーが沸いて来ないため、1文もかけないのである。
やるせない。
自分の思いや経験を、聞いた話を、混ぜに混ぜ込んだストーリーが書きたいのに。
いつの日かまた思いついて書けるようになるであろうか。
そんな日が来ることを願って。
2月が逃げた 2018.03.01
楽天ブログ 2018.03.01投稿
久々のブログである。
この前2月になったように思ったが、気付いたら2月が終わっていた。
1月は行く、2月は逃げる、3月は去るというが、まさに逃げていくように過ぎていった。
春休みもあと半分である。3月もきっとすぐに去ってしまうだろう。
やり残さないように、春学期で後悔しないように、いろんなことをやっていきたい。
今週の月曜日、付き合いの長い異性の友人と2年半振りくらいに会った。
彼とは、小学校の時にとあるチャットで知り合い、中2の時に実際に会った。
チャットで知り合ってからは大体8,9年が経過している。
チャットで知り合った人は他にも何人かいるが、彼が唯一の関西在住であり、且つそれなりに近い距離に住んでいるのでなかなか長く仲良くさせていただいている。
彼とは一度縁を切っていたこともあり、仲直り(というとなんだか幼い感じがするので恥ずかしい)してからは彼にはとてもラブラブな彼女がいたので、誘おうにもなかなか…ということもあった。
しかし、某クソアニメのカフェが私の地元で期間限定でやっており、それが2月27日までだった。
身近で誘える友人が彼しか思い浮かばなかったので(私に友達が少なすぎるのも問題である)、誘ってみると割とすぐにOKで一緒に行くことになった。
久しぶりに会った彼はいい意味であまり変わってなくてとても安心した。声が少し低くなっていた気もするがおそらく気のせいかもしれない。
付き合いが長い+久々に会ったからか、かなり話が弾んだ。
彼も私もかなり話した。
色んな事を話したが、共通の知り合いの話がやはり盛り上がった。
お互いの恋人の話や、バイトの話などもした。
カフェに行ったあとは彼女へに渡す手紙の便箋を買いにお店を回った。
その後は解散したが、なんだかもっと話していたかった。
久々に、本音を話せた気がする(というかそもそも人としゃべる機会が春休みに少ないせいでもあるが)。
ただ楽しかったという日記。
本当はもっと書くつもりだったが、そろそろブログを書くのが飽きてきたので、今日はここまで。
おやすみなさい。
春休み 2018.01.20
テストやレポートで忙しい1月上旬を送ったためでもあるが、あんまりブログを書く気になれなかった。
私はとてもやる気が出るまで時間のかかる人間である。
たとえば、お風呂に入ろうと思っても30分くらい経たないと入ろうとしない。
そのため、よく怒られるのだが。
実は、あと1つだけテストが残っている。そのテストは23日の1限である。
これさえ終われば、長い長い春休みが始まる。
大学の夏休みは「人生の夏休み」と喩えられることは多いが、私の通っている大学では、どちらかというと「人生の春休み」である。
夏休みは7月の終わりごろから9月の中旬あたりまでであるが、春休みはなんと1月の終わりごろと2月3月は丸々で、4月の初めごろまでなのである。
しかも、春休みというのは課題というものもないし、自由なのである。
ということは、アルバイトもしてなければ、本当に何もない。ただのニートに近い。
しかし、自由というのはいいことである。
忙しくてできなかったことを、この時期に費やそうと思う。アニメとか、ゲームとか。
それと、今、とても欲しいものがあるため、アルバイトの時間を増やしてお金を稼ぐ予定である。
春休みはとても時間があるが、私の中ではやりたいことはたくさんある。
悔いのない春休みを過ごしたいと思う。
15歳の自分から20歳の自分への手紙、そして返事 2018.01.03
今日、住吉大社に初詣に行った。
そして、おみくじを引いたが、中吉だった。去年は小吉だったので、すこし上がった。
しかし、恋みくじはの方は、末吉であった。去年は吉。下がってしまった。
おみくじがどう影響を与えるということは、あまりないかもしれないが、運勢が低いとショックなものである。
家に帰って年賀状が届いているか確認したところ、年賀状ではない、私宛の手紙が来ていた。
可愛いピンク色の、白猫が歩いている便箋。自分好みの便箋だ。
最初誰からか本当にわからなかった。後ろを見ても自分の名前。
そして、よく字を見て、自分の筆跡だということに気づき、5年前、中学卒業間際に学校で手紙を書いたことを思い出す。
何を書いていたかあまり覚えていなかったため、ワクワクしながら封筒を開いた。
2013年3月7日、中学3年生、15歳の私から。
2018年1月3日、大学2年生、20歳の私へ。
最初は自分の兄たちの話を書いていた。
まだその当時、甥っ子は義姉さんのお腹の中にいたようだった。
予定日は3月22日で、私は甥っ子に会えるのをたのしみにしていたようだった。
実際甥っ子が生まれたのは、1日早く21日に生まれた。
2人目の話もしていて、実際姪っ子が生まれている。
そして、当時の私は、次男の方の兄の結婚の心配をしていた。
2013年3月の時点で5年付き合っている彼女がいる。今付き合っているかどうかあまりわからない。
しかし最近まで付き合っていたはずなのでそうしたら9年ほどは付き合っていたということになる。
結局結婚まで結びつかなかったようである。
正直、彼女さんには優しくしていただいたので、私としてもとても悲しい。
2人が別々でも、いつか幸せになってくれることを願うばかりである。
そして、当時の私は、彼氏の有無が聞きたかったようなのだが、聞き方がおもしろい。
「愛しい彼はいますか?」
当時の私らしい聞き方である。
アホらしいというのか、夢見る夢子ちゃんというのか。
しかし、この聞き方をする自分に愛らしさを感じた。
ただ、彼氏がいるだけではだめなのだ、とこの時期で思っているあたり、とても私らしい。
愛しい彼がいないのなら、焦ってほしい、そう書いている。
大丈夫だよ。愛しい愛しい彼は、いるよ。とても遠いけれど。
でも、少し迷ってしまっているから、焦らなくてはいけないのかもしれないけれど。
ありがとう、15歳の私。
手紙ちゃんと受け取ったよ。
なんとか20歳になり生きています。
幸せとは、今は言い難いけれど、ちゃんと幸せだと言える人生にしよう。
素敵な高校生活を楽しんでください。
アルバイト
このバイトを始めたのは、9月の下旬あたりだった。学校が始まる寸前に新しいバイトを始めたのである。
この微妙なタイミングに始めたのには訳がある。
7月の末、私はこれとは別で新しいバイトを始めていた。
某デパートの地下のお惣菜売り場の店員をした。
この仕事は、単にお客様にものを買ってもらうだけでない。レジをしなければならない。
実は今まで飲食店のホールは経験していたものの、レジを打つという作業はほぼ初めてに近かった。
しかも量り売りであり、商品の品数も多かった。
お弁当の種類だけで6,7種類あったように思う。しかも、品名も似ている。
しかし、品名は似ているが値段はかなり違いがあった。
バイト初日から店長に怒鳴られた。なぜ違う商品のレジを打つのだと。
あまりお弁当の種類について語られることもなくレジの打ち方のみを教えられていたので、パッケージを見ただけではとっさの判断が難しかった。
お客様がいる前で「お前は何をやってるんだ、よく確認しろ」と。そのほかにも色々必要以上に怒鳴られたが、ショッキングな出来事で、何を言われたかあまり覚えてない。
言われていることは分からなくもないし、正論である。
だが、怒鳴ったり必要以上に相手をなじるのはいかがなものかと思っていた。
これは初日だけではなかった。
割と理不尽な理由で怒られたり、蹴とばされたりもした。
このバイトは大体2週間続けていたが、精神が持つはずもなく、すぐにやめてしまったのである。
辞める時も店長と少し揉めた。
最後制服を返しに行ったときは店長がいなくなった隙を狙い、パートの主婦さんに手渡してそのまま逃げるように辞めた。
怒鳴られるくらいで、と思う人もいるかもしれないが、これは割としんどいものがある。
しかも、今までやってきたバイトで怒鳴られたことなど一度もなかったため、怒鳴られる耐性もなかった。
暫くは新しいバイトを始めようという気にもなれず、暫くできなかった。
が、やっぱりお金はほしい。親も働けとうるさいため、新しいバイトを探していたら…ということで最初に戻る。
家からも近く、時給も高いとは言い難いが、安いわけでもない。
体力のない私には、受付はぴったりだろうと思い、面接を受け、そのまま採用。
クリーニングの受付というのは、覚えることはたくさんあるが、比較的楽な仕事である。
今までやっていた職種と違うため、慣れない作業も多かったが、3か月も経ち、やっと使い物になるようになったと、自分で思う。
でも、ここの社長が割と厄介で、すぐ気に入らないことがあると機嫌が悪くなる。
しかもとんでもなく暑がりで、全然暖房が効いていなくて寒いほどなのに、許可もなく暖房を消す。
なんというか、赤ちゃんという言葉がぴったりくるような、そんな人間である。
最初はとんでもなく嫌であったが、「こいつは赤ちゃんなんだ」って思うとどうでもよくなる。
社長を除けば、とても人間関係は良好である(私がそう思っているだけで周りがどう思っているかはわからないが)。
社長が嫌で仕方なくやめてやる!とも思っていたが、暫くはこのバイトを続けていくだろうと思う。
今度は飲食店で働いていたことについて、機会があればブログに書こうと思う。